大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

浦和地方裁判所 昭和36年(わ)38号 判決 1961年7月13日

被告人 大越利彦 外四名

主文

被告人大越利彦、同熊井日出夫、同岸波登を各懲役二年六月に、被告人桜木進、同甲を懲役三年に各処する。各未決勾留日数中九十日を右本刑にそれぞれ算入する。

尚被告人五名に対し、いずれも本裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予し、右のうち、被告人桜木進、同甲に対しては、右猶予期間中それぞれ保護観察に付する。

押収してある短刀一振(昭和三六年押第二四号の三)はこれを被告人大越利彦から、庖丁一挺(同押号の二)はこれを被告人岸波登から、玩具用ピストル一挺(同押号の一)はこれを被告人甲からそれぞれ没収する。

訴訟費用中、証人飯塚広四、同茶谷ふじ、同佐々木あや子、同川名忠三、同飯塚ミツ、同飯塚正吾に各支給した分は被告人五名全部の連帯負担とし、証人遠藤充彦、同磯貝忠子に各支給した分は被告人桜木進、同甲両名の連帯負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

第一、被告人大越利彦、同熊井日出夫、同岸波登、同桜木進、同甲(少年)は遊び仲間であるが、昭和三六年一月三日午後九時過ぎ頃、同じ仲間の宮本光一及び矢作征一(少年)の七人で埼玉県北足立郡鳩ヶ谷町のぎようざ屋磐梯軒で飲酒していたところ、少し遅れて同所に来合わせた小松城生(少年)土肥忠(少年)両名より被告人等の知人である笠原新太郎が飯塚広四に短刀で脅迫された旨聞知し、謝罪させることに藉口して右飯塚を脅迫し、同人より酒か金を強取しようと共謀し、被告人大越は短刀一振(昭和三六年押第二四号の三)を、被告人岸波は庖丁一挺(同押号の二)を被告人熊井は同じく庖丁一挺を、被告人甲は玩具用ピストル一挺(同押号の一)をそれぞれ携え、宮本、被告人桜木、矢作、小松、土肥と共に同勢九人で同日午後一一時頃一台の乗用自動車に乗込み、川口市大字根岸二〇三二番地飯塚滝治方に至り、就寝中の長男飯塚広四(当二二年)を戸外に呼出し被告人等数人で取囲み、被告人大越は所携の短刀を、同岸波は庖丁を、同甲は玩具用ピストルを突付け、被告人熊井は庖丁をチラツカせ交々、「鳩ヶ谷にドスを持つて脅かしに行つただろう。必ず行つたのだろう。おれが刺してやる。――お前の指や腕をとつてやる」等申向けて脅迫しその反抗を抑圧した上、更に同人を被告人大越が少し離れた畑の所に拉致し、「みんなが酒を飲んでいきりたつているから俺が話をつけてやる。お正月だから五千円位出せ、二千円でもいい、酒なら二、三本でもいい。」等申向けて金品を要求し、畏怖した同人をして「今から酒屋に行つて起すから」と酒肴を供応することを強いて承諾させ、右反抗を抑圧された状態の同人を前記の自動車に乗車させ、近くの酒屋安藤方に赴いたが同人方は既に就寝して起きなかつたのでやむなく飯塚が右自動車で(被告人等の中、大越、熊井、岸波、宮本は下車、他は同乗して)川口市大字根岸二七七四番地に住む同人の姉、茶谷ふじ方に赴き同女から金三千円を調達して戻つて来るのを待つて再び飯塚と共に被告人等全員が右自動車に同乗し宮本の提案に従つて東京都北区赤羽町一丁目三三六番地飲食店「ラスール」こと斎藤実子方に至り、引続き飯塚の反抗を抑圧して同人をして翌日午前一時頃同所において金二、五二〇円相当のビール等を供応させ以て財産上不法な利益を得、

第二、次いで前記一同は同飲食店を出たが酒気も手伝つて気勢をあげているうち通行人に暴行を加えて金品を喝取しようと企て同日午前一時三〇分頃共謀の上同町一丁目四〇六番地先道路に屯して通行人を待ちうけていたところ通称赤羽銀座方面から同所を通りかかつた二人連の男のうち、逃げ遅れた遠藤充彦(当二十四年)に対し被告人甲、宮本、矢作、小松、土肥等は交々手拳で殴打し、足蹴り引倒し、更に被告人甲はひるんでしやがむ遠藤を引き起しその左手を掴んで振り廻す等暴行を加え、宮本は「俺が話をつけるから」と申向けて遠藤の胸倉をとつて七、八米離れたサロンくれないの辺に連れて行き、再度暴行を加えたところ被告人甲の右暴行により遠藤の左腕からはずれて同人の足下に落ちた同人所有の腕時計一個(価格五千円相当)を被告人桜木が拾い上げてこれを喝取したものであるが、右暴行により遠藤充彦に対し、全治約一週間を要する顔面打撲擦過傷及び左鼻腔損傷の傷害を負わせたものである。

(証拠の目標)(略)

(法律の適用)

被告人大越、同熊井、同岸波の判示第一の所為は、いずれも刑法第二三六条第二項第六〇条に該当するところ、犯罪の情状憫涼すべきものがあるから、刑法第六六条第七一条、第六八条第三号によつて酌量減軽した刑期の範囲内で右被告人三名をそれぞれ懲役二年六月に処し、又被告人桜木、同甲の判示第一の所為は刑法第二三六条第二項、第六〇条に、判示第二の所為中恐喝の点は同法第二四九条第一項第六〇条、傷害の点は第二〇四条、第六〇条、罰金等臨時措置法第三条、第二条に各該当するところ、判示第二の所為は、一個の行為にして二個の罪名に触れる場合であるから刑法第五四条第一項前段、第一〇条により犯情の重いと認められる恐喝罪の刑に従い、処断すべきであるが、判示第一、第二の各罪は刑法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条本文第一〇条により重い強盗罪の刑にいずれも同法第一四条の制限に従い、それぞれ併合罪の加重を為し尚犯罪の情状憫諒すべきものがあるので同法第六六条、第七一条、第六八条第三号により酌量減軽し、被告人甲に対しては更に少年法第五二条第三項を適用した刑期の範囲内で被告人、桜木、同甲を各懲役三年に処する。但し刑法第二一条により被告人五名に対し各未決勾留日数中九十日を右本刑にそれぞれ算入することとし、尚被告人五名はいずれも未だ若年であり本件はその犯罪の態様は必ずしも軽くはないのであるが何分正月酒で気のゆるんでいた被告人等が酒の勢いで敢行した偶発的犯行と認められ、且被告人等はいずれも前非を悔い改悛の情が顕著であり被告人桜木、同甲、同岸波に以前に少年としての非行がある外五名とも前科はなく、一面各被害者との間には既に示談も成立していることでもあるのでその他諸般の情状に鑑み、被告人等に対していずれもその刑の執行を猶予して更生の機会を与えることを相当と認め、同法第二五条第一項第一号に従い、被告人五名に対し、それぞれ本裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予し、その内被告人桜木、同甲に対してはその年令、前歴、家庭の保護能力等を勘案して同法第二五条の二第一項前段により、右猶予期間中保護観察に付する。次に押収にかかる短刀一振(昭和三六年押第二四号の三)庖丁一挺(同押号の二)玩具用ピストル(同押号の一)はいずれも判示第一の犯行に供したものであり、いずれも犯人以外のものに属しないので、同法第一九条第一項第二号、第二項によりこれを没収し、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文、第一八二条に従い主文掲記のとおりこれを各被告人の負担とする。

(主な争点に対する判断)

一、判示第一の事実につき

(一)  弁護人は本件は強盗ではなく、恐喝であると主張するのでこの点につき審按する。なるほど前掲各証拠によれば、被告人等は最初金品を調達するため被害者飯塚を自動車に乗込ましめたが、必ずしも身体の自由を全く束縛したのではなくその状態で飯塚を茶谷ふじ方に赴かしめていること、被害者が金三千円を調達した直後しようと思えば出来たに拘わらず右金員を強取することはせず、これを飲食代にあてるため飯塚に持たせたままラスールに赴き同人を含めて一緒に飲酒していること等からみれば可成り恐喝的色彩がないわけではない。しかし他人に暴行又は脅迫を加えて財物を奪取した場合にそれが恐喝罪となるか、強盗罪となるかは、その暴行又は脅迫が社会通念上、一般に被害者の反抗を抑圧するに足る程度のものであるかどうかという客観的基準によつて決せられるのであつて、具体的事案における被害者の主観を基準としてその被害者が反抗を抑圧されたかどうかによつて決せられるものではないことは最高裁判所の判例とするところである(昭和二三年(れ)第九四八号同二四年二月八日第二小法廷判決、最刑集三巻七五頁)。本件についてこれをみるに、被告人等は夜十一時頃多数で刃物を携えて夜間一人歩きの淋しい現場に臨み、短刀、庖丁、玩具用ピストル等を突付けて脅迫を為したものであり、右所為は一般に被害者の反抗を抑圧するに充分といわなければならない。ただここで多少問題となるのは、右反抗抑圧の状態が酒食饗応に至るまで果して継続したかどうかということであるが、証人飯塚広四の供述によれば、飯塚が茶谷ふじ方に赴く際においても土肥忠が飯塚に同行していること、証人茶谷ふじの供述によれば、同人方で飯塚は真青な顔をしており「相手は多勢で刃物を持つているから危い」と茶谷ふじに言つていること、佐々木あや子の検察官に対する供述調書の記載によれば、被告人等はラスールにおいても短刀を出したり、玩具用ピストルをおもちやにしたりして威嚇的示威行動をとつていることが認められるから、被害者の反抗を抑圧する脅迫は依然として継続していたものとみるを相当とする。従つてこの点に関する弁護人の主張はこれを採用しない。又被告人桜木は本件脅迫行為中は自動車の中に居つて右脅迫行為に加担しておらず又、磐梯軒における共謀は飯塚に対する脅迫の共謀に止り、金品奪取の点についての共謀は存しないから同被告人は単に脅迫の責任を負うに止まると主張するので、判断するに被告人等の仲間で所謂「ガタクル」とか「話をつける」とか称するのは単に相手方に対して暴行、脅迫を加えること乃至は紛争を解決することを意味するものでなく、これに藉口して金品を要求する意図をも含むものであると認めるのが相当であり前掲証拠によれば桜木はその日の磐梯軒における話合いに参加しており「話をつけ」に行くことに同調したのであつて、ただ桜木自身は自動車から降りなかつたため、飯塚に対する脅迫行為に直接関与しなかつたというに過ぎず、飯塚が被告人等の脅迫により金三千円を調達したことを知りながら右被害者をして右金員を以つてラスールにおいておごらせ桜木自身も飲酒を共にしたのであるから、同被告人の態度は他の被告人等と意思を通じて総べて行動したことを裏付けるに充分であり弁護人の右主張は理由がない。

(二)  検察官は被告人等はラスールにおいて飲食代金名下に現金三〇〇〇円を強取したものであると主張するので、この点につき判断する。

本件は被告人等が飯塚方へ行く自動車の中で共犯者宮本光一の「金はヤバイ。酒がよい」との提言に基き判示の如く飯塚に酒食を供応することを約束せしめ、結局ラスールにおいて金二五二〇円相当の供応を為さしめたのであつて金三〇〇〇円自体を強取したものと言い得ないから刑法第二三六条第一項には該当せず同条第二項の罪として問擬するのを相当と認める。

二、判示第二の事実について

(一)  検察官主張の訴因について

判示第二の事実につき検察官は強盗傷人罪に問擬すべきものと主張するので検討してみるに、深夜多数で気勢を挙げ通行人に「ヤキを入れる」等と言つたこと自体からだけではその被告人等の意思が果して強盗であつたか、恐喝であつたか、或は単なる暴行であつたかは、直ちにこれを断定し難いところであるが前掲証拠によれば本件現場はその時刻頃でも通行人や流しのタクシーが時折通る駅近くの街頭であり、本件犯行直前同所附近で他の被告人等によつて為されたバンドマンに対し因縁をつけ金員を取つた行為においてはその脅迫の程度は相手方の反抗を抑圧するほどのものでなかつたこと、本件の暴行も亦専ら手又は足を用いて為されており被害者遠藤の連れの一人は現に逃げられたのであつて、被害者も隙をみて逃走しようと思えば必ずしも逃げられない状態ではなかつたこと、被害者も暴行を受けた直後腕時計がなくなつたことに気付き、熊井に対し「俺も一時遊んだ人間だからヤキの入るのは構わないけれども、時計を取られるのは頭に来て了う」等と言いながら現場で時計を探していたこと等が窺われるのである。従つて本件の暴行はその結果として被害者に対し傷害を与えているとはいえ、これを客観的にみればこれによつて右被害者は金品を強奪されるというような切迫した危険に曝らされていたものとは認め得られず、一面被告人等においても右犯行に際して金品をたかる意図はあつたにしても相手方の反抗を抑圧してまで金品を強取しようとするまでの意図はなかつたことが明らかである。

よつて本件は強盗傷人罪に問擬すべきではなく恐喝、傷害の罪として処断すべきものと解する。従つて検察官の主張はこれを採用し得ない。

(二)  弁護人の主張について

判示第二の事実につき弁護人は被告人の甲所為は傷害に、同桜木の所為は遺失物拾得(遺失物横領ないし占有離脱物横領か)に該当すると主張するけれども他の仲間を含めた被告人等が通行人に暴行を加えて金品を喝取しようとの意思の連絡があつたことについては判示のとおりであるから、桜木が遠藤の腕時計を拾い上げた行為が喝取に該当するか否かについて検討するに問題の腕時計は甲が被害者の左腕の時計のバンドに手を挿入してもぎ取つたのを取落したものか或いは暴行中とれてしまつたものかは必ずしも明瞭ではないけれども前掲証拠によると桜木は甲等が遠藤を殴つている中又はこれと接着した時期に時計を拾い上げたものであることが認められる。そして上述のとおり遠藤は暴行を受けた直後右腕時計がないのに気づいて現場附近を探しているのであるから、このような場合被害者の右時計の占有は未だ失われていないと解するのが相当である。然し又一面被害者が本件のように時計を被告人等に任意に交付する意思決定がなかつた事を以つてこの拾得行為が直ちに窃盗罪を構成するものと解することは出来ない。すなわち叙上の如き事実関係は、これを法律的に評価して被害者が任意に財物を交付した場合と同一に考え、恐喝既遂罪として処断すべきものと解する。蓋し、暴行中腕から離れ落ちたものを引きさらつて逃げる行為は被害者においてこれを阻止する余裕なく犯人が財物を取るのを放任するの余儀なきに至らしめる点において任意の交付と同一視するに足るからである。従つてこの点の弁護人の主張は採用し得ない。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 大中俊夫 西塚静子 龝原孟)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例